「いいとも」が終わる。
月並みだが、来週の月曜で笑っていいともが打ち切りになる。
暇つぶしに僕的ないいろも論を書きたいと思う。
僕の郷里は山梨なのだが、山梨でいいともと言えば16時半からであった。
説明すれば長くなるが、山梨は民放が2局しか無くそれもフジ系は無い。
そこで日テレ系の地元局が16時半から再放送していたのだ。
だから、僕にとっていいともは「お昼の生放送」ではなく、
「おやつ時のバラエティ」だった。
その頃の僕の中のいいともは「かっこいい大人の悪ふざけ」だった。
テレフォンショッキングにしても、ミニコーナーにしても、
良くも悪くも生放送の良さが出ていた。それは90年代の良さだったのかもしれない。
しかし、自分が成長してゆくにつれて、いいともを見る機会は減った。
それはライフサイクルの変化かも知れないが、率直に言えば「いいともらしさ」が無くなった事が大きい。
いいともが単なるバラエティーに変わった。
僕の中では、いいともは一つのジャンルだった。
ヤラセかもしれないけど、次の日に誰が出るか分からないテレフォンショッキング、下ネタでもなく、老若男女みんなが楽しめるけど何が起こるか分からない番組展開。
それが、無くなった。
巷ではディレクターが変わったとか、社命だとか、色々言われているが、「いいともが普通のバラエティー」の変わってしまった事が見放された一番の要因ではないだろうか。
ひょっとしたら、それは今のテレビの限界なのかもしれない。
テレビは今の世相の反映。
テレビがつまらなくなったということは、今の社会がつまらなくなっているのかもね。