地方と「東京」は別の国
就職活動を終えた大学4年。
生まれ育ったのは山梨。就活にあたっては東京と山梨、2つの就職活動をした。
結果としては両方の企業から内定をいただき、東京で働くという決断をした。
なぜか。
それは、大学4年間を過ごした「東京」と18年間を過ごし自己のアイデンティティを形作った山梨、この2つは全く別の国であり、僕は「東京」が肌に合っていてここで挑戦したいと考えたからだ。
初めに言うが、僕は決して地元を卑下するつもりは無いし、今でも地元の事を唯一無二の故郷だと考えている。
高校までをごく普通な公立学校で学び、1年浪人を経験した。
一浪の末に東京の大学に合格を得た僕は純粋に都会での生活に憧れを感じていた。
それからの大学生活は、学生団体や合コン、サークルなど、「ごく普通の」東京という都会での生活を貪るように楽しんだ様に思う。
だが、次第に感じたのは東京に染まる自分自身と地元山梨とのギャップであり、「東京に順応する自分」への失望と喪失感であった。
たまの休みに地元に帰り旧友と話す。しかし昔の様に話は合わない。何故?
それは近いようで遠い2つの都市の決定的な違いだった。
地元では中卒、高卒が当たり前であり、大卒、それも東京の大学で学ぶことの出来る人間は限られた存在だ。
今のはやりで言えば「マイルドヤンキー」。成人式で目の当たりにしたのは中学の同級生の4割以上が既婚、出産済みという僕の周りで酒飲みに明け暮れている状態とは全く違うもう一つの生き方だった。
小中で形成されたコミュニティーが青年会、組(自治会)、無尽(会費積立制の飲み会)など、ほぼそのままの形で死ぬまでついてまわる。
地元での会話といえば、「3年4組の伊藤くんと薬袋さんが復縁した」だとか、中学のピラミッドが20歳を超えた今でも機能している。
この空気感は、中学でそこそこのキャラとポジションを確立した人間にとってはこの上なく生きやすく、時にその身を助ける事になるだろう(会社経営者や議会議員も世襲制でありコミュニティの一定数を占めてゆく)。
だが、学生時代をオタクやネクラとして過ごし、「いじられキャラ」だった人間は、そのままの地位のまま一生を終えるかもしれない。
東京と違って、地方に再チャレンジは限りなく存在しないのである。
そうとなると、地方は東京以上に決まった生き方、固定的なキャラ設定しか存在しないヒエラルキー的な社会と言える。
「〇〇中の〇〇くん」はどこに行ってもついて回り、出身高校は時に出身大学よりも人生を左右する(実際、地元企業の面接では出身高校閥が存在する)。
公務員になるにはコネクションが必要であり、「親の七光り」は当然能力より尊い。
就活を通して、東京には無意識の内に「東京と地方」を同じ尺度で捉える人が少なからずおり、それに対する違和感こそが”自分自身と地元山梨とのギャップであり、「東京に順応する自分」への失望と喪失感”の原因だと分かった。
繰り返すが、僕は決して地元を毛嫌いしている訳ではない。
東京出身の友人に「大手企業と山梨の企業、どっちにするか迷ってる」という話をしても全く話が通じない事に苛立ちを感じた事もあったが、これは当然のことである。
だって、東京と地方は別の国なのだから。
言葉は同じでも、そこにある文化や選択可能な教育インフラは全く異なる。
東京以上にお金がなければ「見えない壁」によって将来のキャリアが決定する(山梨県には国公立大学は3校、偏差値50以上の大学は1つもない)。
「勉強したい」という気持ちがあり、地元の大学にいったとしても、文系に限ってみればその後は教職、というのが現実である。
東京の大学に行くにはお金がかかるし、事実金銭的な理由で上京を諦め高卒で就職という友人を何人も見てきた。
こうした事情は東京の人々には少し理解できないところだろう。
少し暴論になってしまったが(収まりもつかないが・・)、就活を通して僕が至った結論は「東京と山梨(+家族)のどちらかを捨てなければならない」という事だった。
僕は引き続き親を地元に残して東京の企業で働くという選択をした。
望む職種に就くためには仕方がない。だって山梨では出来ないのだから。親の老いてゆく姿も気にはなる。でも、生きるためにはお金が必要だ。
僕にとっての就職は、それまで気づいてきたコミュニティ、文化資本からの離脱であり、山梨からの「出国」である。
ちょっと大げさすぎるか。
「いいとも」が終わる。
月並みだが、来週の月曜で笑っていいともが打ち切りになる。
暇つぶしに僕的ないいろも論を書きたいと思う。
僕の郷里は山梨なのだが、山梨でいいともと言えば16時半からであった。
説明すれば長くなるが、山梨は民放が2局しか無くそれもフジ系は無い。
そこで日テレ系の地元局が16時半から再放送していたのだ。
だから、僕にとっていいともは「お昼の生放送」ではなく、
「おやつ時のバラエティ」だった。
その頃の僕の中のいいともは「かっこいい大人の悪ふざけ」だった。
テレフォンショッキングにしても、ミニコーナーにしても、
良くも悪くも生放送の良さが出ていた。それは90年代の良さだったのかもしれない。
しかし、自分が成長してゆくにつれて、いいともを見る機会は減った。
それはライフサイクルの変化かも知れないが、率直に言えば「いいともらしさ」が無くなった事が大きい。
いいともが単なるバラエティーに変わった。
僕の中では、いいともは一つのジャンルだった。
ヤラセかもしれないけど、次の日に誰が出るか分からないテレフォンショッキング、下ネタでもなく、老若男女みんなが楽しめるけど何が起こるか分からない番組展開。
それが、無くなった。
巷ではディレクターが変わったとか、社命だとか、色々言われているが、「いいともが普通のバラエティー」の変わってしまった事が見放された一番の要因ではないだろうか。
ひょっとしたら、それは今のテレビの限界なのかもしれない。
テレビは今の世相の反映。
テレビがつまらなくなったということは、今の社会がつまらなくなっているのかもね。
追われている
私はいま追われている。
それはもう酷いくらい追い込まれている。
しかし、追い込まれている時の方が、不思議と頭がすっきりするものである。
就活の原点について話してみようと思う。
原点はこれだ。
そう。九州新幹線。
電通の面接に行けば5割は「好きな広告」に挙げるであろう定番中の定番だ。
震災直後、訳のわからぬ計画停電やぽぽぽぽーんに自分の無力さを痛感していた僕に、そっと手を差し伸べてくれたのはyoutubeで見たこのCMだった。
なぜかわからないが、涙が出た。
人の温かみかもしれない。体に染み渡るその感情に、為す術がなかった。
これは一体なんだろう。
それから、「広告」に携わりたいと考える様になった。
たった15秒で感じられる喜怒哀楽。
テレビニュースや小説よりももっとインスタントなエンターテイメント。
こんな簡単な仕事じゃないというのは就活をしていて痛いほど思い知ったが。